Movie Review

アイアン・ジャイアント

〜ウルトラマン鉄人28号ジャイアントロボ〜


 

<監督>
ブラッド・バード

<あらすじ>
1957年10月、ソ連は遂に人類初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功しました。
その翌日、アメリカ・メイン州の小さな田舎町ロックウェルに住む9歳の少年ホーガース(声:イーライ・マリエンターノレ)は、鉄の巨人が落ちてきたとの噂を耳にします。
そして彼が森の奥で出会ったのは、金属を主食とする巨大ロボットでした。
知性はあるものの、記憶が失われ、生まれたての赤ん坊のように無垢なアイアンジャイアントは、ホーガースとコミュニケーションをとり、一緒に時を過ごし、仲良くなっていきます。
しかし、アメリカ政府のエージェントであるケント・マンスリー捜査官(声:クリストファー・マクドナルド)は、アイアンジャイアントを国家へに対する脅威とみなし、ホーガースとアイアンジャイアントを付け狙います。
ホーガースは芸術家のディーン(声:ハリー・コニックJr.)の協力のもと、アイアンジャイアントを隠そうとするのですが・・・

<評価>
 ★★★☆ (星5つで満点)

<コメント>
アメリカでは、アニメのアカデミー賞にあたるアニー賞を9部門独占した話題作です。
姿はテレビで放映していた「鉄人28号」や「ジャイアントロボ」、設定は藤子F不二夫の短編「鉄人をひろったよ」「超兵器ガ壱號」などを思い出させます。

ストーリー自体は極めてシンプルです。映画でいうとETが一番近いです。私ならこう脚本を書くぞ、と先読みしたところ、全くその通りに展開しました(まさに最後のシーンまで)。
でも、それでいいんです。「少年が意志のある巨大ロボットと心を通わせる」という物語は、少年の多くが夢見る話で、複雑である必要などないのです。意表を突きながらも不自然な展開になってしまうよりは、ベタベタな展開の方がずっといいのです。
そして、ラストシーンは予想通りとはいえ、感動します。
少年と巨大ロボットの交流をコンパクトに描くと、まさしくこうなるという正しいお手本であり、日本ではクリエーターの評判が非常に高いです。大人が子供に見せたい、非常に正しいアニメ映画なのです。

アイアンジャイアントの顔はアゴの出たウルトラマンいった感じで、極めてシンプルな表情をしています。これではどうやって感情表現するのかと思ったら、目のパターンを変える「大鉄人17方式」でした。
しかし目の色だけでなく、形も変わるので、17のそれよりも表現力があります。
また、表情がシンプルな分、無表情なときに純粋無垢なイメージがあり、それはそれで成功していると思います。妙にかわいらしく(まるで小さなペットのように)感じました。ガンダムのような凛々しい顔ではそうはなりません。

全体的なのデザインは、ノスタルジックな風体をしたごっつい鉄のイメージ。構造むきだしで、リベットが打たれていて、わざと古臭いイメージに描かれています。宮崎駿がデザインするロボットを思い起こさせ、私はわりと好きです。
デザインは古臭くとも、動きは3D−CGで計算されてつくられており、動作がとても滑らか。関節の動きなどにも説得力があります。登場時の重量感は十分に再現されていました。後半はやや重量感がなくなっていくのですが、登場時にインパクトがあれば、それ以降に不必要に重量感を強調してもうっとおしいだけですので、これでいいと思います。
なお、色まで3D−CGでつけると、他のアニメ部分と違和感が出るので、わざわざ手で塗っているそうです。このため、全体的にうまく溶け込めています。
ただ、後半の戦闘モードでは、3D−CGのレイトレーシング技術はバリバリ全開です。それまでとイメージが違っても演出上OKでしょう。
そういえば、一部の背景や、海や炎などの描写はCGで、非常にリアルな映像を提供しています。暗闇に懐中電灯で光を当てるシーンも、セルアニメでは難しいでしょう。アニメの背景にCGを使うのは当たり前になってしまってますね。

アイアンジャイアントのデザインをしたのはジョー・ジョンストン。この人は映画「遠い空の向こうに」で監督を勤めている人物なのですが、「スターウォーズ帝国の逆襲」のスノーウォーカーなどのデザインに参加しています。

キャラクターはいわゆるアメリカのアニメのものですので、日本人には馴染みにくいかもしれませんが、すぐに慣れます。

なお、もしこの作品を日本でつくっていたら、ライバルのロボットが出てきて、後半で戦う事になるんでしょうねぇ。(ライバルロボは黒か赤の確率が高いでしょう)
そういった日本人好みの派手なロボット同士のバトル展開はありませんので、そういうシーンを期待してはいけません。

この映画は、日本ではほぼ同時期に上映している「遠い空の向こうに」という映画と好対照です。
どちらも舞台は1957年10月のアメリカの田舎町。ソ連がスプートニク1号を打ち上げてから物語が始まります。米ソの宇宙開発競争が始まった時期です。
「アイアンジャイアント」では、遠い空の向こうから侵略兵器である巨大ロボットが降ってきます。
それに対して、「遠い空の向こうに」では、少年達がロケットを自分達でつくって遠い空の向こうに飛ばそうとと、実験をはじめます。
同じ時代背景なのに、全然違いますね。かたや、異星人のテクノロジーの巨大ロボットアニメ、かたや、ロケット製作の実話。
どちらもラストシーンでは涙を誘う演出があります。
そして、どちらも観る価値があります。




<以下、ネタバレコメント>
この映画を観る予定のある人はこれ以降は読まないでください











アイアンジャイアントは記憶を失っており、赤ん坊のように純粋無垢な状態になっています。そこに、ホーガース少年が「スーパーマン」のマンガなどを使って「人間の心」を教育するわけですが、これってマインドコントロールでは?と勘ぐってしまいました。
我々は、スーパーマンの行動は正義であり、死は哀れなものであり、自己犠牲を美しいと感じますが、それは必ずしも全宇宙に共通の感情ではないのでは?
もともとは、戦闘に特化した侵略兵器だったのが、主人公のせいで道徳を教えられ、結果的に、戦闘機械にあるまじき自己犠牲の精神によって命を落としてしまうわけです。これでは主人公のせいで死んだことになってしまうので、物語が美しくないと思います。
そこで、はじめからある程度の人間的な感情があるという設定であって欲しいです。(主人公もアイアンジャイアントに「きみには感情がある」と言ってますし)
そのため、そういう描写を付け加えたらどうでしょう。例えば、ホーガースに教育される前に「自分は戦闘兵器として生まれてきたが、生き物の命は奪いたくない」と喋らせ、すでにジレンマに陥っていたことにするとか。

ラストシーンでアイアンジャイアントが特攻する展開は、もうあれしかあり得ないでしょう。うまいこと盛り上げていました。
特撮版ジャイアントロボを思い出しました。ジャイアントロボは最終回で、ギロチン帝王を抱えて隕石に突入するのです。主人公は必死にジャイアントロボに「戻れ」と命令を出しますが、ロボがシリーズを通してただ一度だけ命令に背いたのがこの時でした。
それに対してアイアンジャイアントのホーガース少年の方がクールです。「行くな」とは言わず、「行っちゃうの?」にとどめ、選択肢を与えてジャイアントまかせにしています。(みなさんはこのあたり、どう思います?)

アイアンジャイアントは生きていた?という一番最後のシーン。
自己修復機能(ロボットアニメ史上、かなり便利な部類に入るでしょう)によって復元する事は確信していましたが、爆発したせいで世界各地にパーツがバラバラになっているとまでは読めませんでした。私は、ホーガースのベッドのある窓から、ひょっこりと姿を表して、例のパーツが耳にはまるのかと思っていました。

それにしても、アイアンジャイアントに対して原子爆弾の発射を指令したマンスリーは愚か過ぎやしませんか?いずれにせよ、あのキャラクターは悪に徹することのできない半端なキャラクターに見えちゃってますが。




    2000/4 no-be-