私は人から「まずいものを好んで食べる人」だと言われます。 実際私は、「今度の新製品の〜はまずい」などという噂を聞いたら、それを食べずにはいられません。食べたい衝動の電流火花が体を走り、その日の帰りにでも買って食べてみたいとウズウズしてしまうのです。 なーんて事を言うと、 「もし結婚したら奥さんは料理がヘタでも喜んでもらえるから幸せだ」 とか言われたりするのですが、残念ながらそれは正しくありません。 みんなは誤解しています。私は決してまずいものが好きなわけではないのです。私とて、毎日まずい料理を出されたら涙を流して待遇改善を要求するでしょう。 私は単に、どういう風にまずいのかを知りたい、という知的好奇心が旺盛なだけなのです。 食材をどういう風に組み合わせれば、効果的に味覚等にダメージを与えるまずい食べ物ができるのか、その仕組みが知りたいのです。 また、世の中には「〜はおいしい」という情報は溢れていて、本屋に行けばいくらでもその手の雑誌やガイドブックが売っています。ですが、「〜はまずい」という情報は極めて少ないのです(これは悪口を書くとデメリットが大きいからやりたがらないマスコミの性質によるものです)。ですから、まずい食べ物には希少価値があると言えます。 一般的には、資本主義社会ではまずい食べ物を売ると競争に負け、自然淘汰されるはずです。それなのにまずい食べ物を売るのには何か理由があるのか、そこにも興味があります。 というわけで、私は断じて変人ではないのですッ!(力説) (これが言いたかった) いずれにせよ私は、まずいものを食べた場合、それがまずいという苦痛よりも、知的好奇心が満たされる喜びが勝り、トータルでは満足感を得られるようです(・・・それって変人?)。 逆に、一度そのまずさを知ってしまったら、それはもう「得るものが何もない単なるゲテモノ」に過ぎず、二度と食べたくないわけです。 味覚の満足度について図にすると、以下のようになります。 <普通の人の味覚レンジ> まずい+―――――――普通―――――――+おいしい ←――普通――→←―満足−→ <私の味覚レンジ> まずい+―――――――普通―――――――+おいしい ←満足→ ←―普通――→←―満足−→ (ただし1回目のみ) つまり、まずいものを食べた場合、普通の人は不満が発生しますが、私の場合は少なくとも最初の1回については不満が出ないどころか、逆に喜ぶわけです。 ただ、中途半端なものに対しての満足感は普通の人よりもやや少ないです。(註:おいしさのプラス方向に対する満足度は、食べ物の種類によって微妙に違うのですが、ここでは普通の人と同じと仮定しています) 私のこの趣向は、ある意味幸せであると言えるかもしれません。食事で満足できる範囲が人よりも広いことになるわけですから。 ですからもし、私と似たような趣向の人がいたら、人より幸せだということになりますから、喜んでいいんですよ。 そういう人はきっといるはずです。 …っていうか、いて欲しい。お願いだから(懇願)。
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1999/06/09 no-be-